大きいパン

よるはこれから

20190919_自分という人間について

今日も日記を書く。最近は21時過ぎとか22時前まで仕事なので、何かしているかといえば何もしていない。

 

しかし、書き始めて数日経って思ったのだけれど、この日記、not for おまえら な匂いがプンプンしていて、このまま書いていていいのだろうかと思ってきた。怠けて続かないことはあるだろうなと思っていたけど、全く想定外の理由で続かない理由になりそうで驚いている。

 

この日記、書けないこと以外は基本的に書いていて、書いている内容自体は飾らない自分である。吐き捨てるような言葉を書いている時もあるだろうし、攻撃的に見えるときもあるんだろうな、とかとか。「人を意識した自分像を日記で作るのってどうなん」とか「いやそれは見る人に対する配慮でしょ」というのもわかるし、まぁ今のスタンスを変えるつもりはあんまりないのだけれど。

 

閑話休題(?)。なんていうか、twitterで短文で心情を吐露する以外にきちんと自分が考えていることを表現したことってあんまり無いものだから、こうして改めて文章で自分の感情を表してみると「相当めんどくさいやつじゃないかこいつ。」という思いを強くする。

 

twitterとかで一人クソみたいなツイートをしている時にも同じようなことを思うのだけど、どうなのだろう。「俺ってめんどくさい」と思うことが「俺って異端」と思いたいだけじゃないかというカウンターもあるし、そういうことを考えると自分ではもうどうなのか一切わからない。

 

そもそも、自分がめんどくさいかどうかなんて知る必要無いって思われるかもしれないけど、自分にとっては意味が無いわけではないんです。だからわざわざこんなことを書いているんです。

 

今回みたいにめんどくさい自分を感じると、自分の自尊心が下がって、自分に対して良くしてくれた人をがっかりさせるような自分を卑下する言葉を吐きたくなる。

 

自分が思ってるより世の中の皆さんは前向きなんだろうな、と思っている。いやわからんけど。この悲観ぶるのもめんどくさいね。