20191002_特別感
ユリイカ10月号に掲載されている瀬下さん @seshiapple の「持続のあとで」というエッセイで、なんと #osicomagazine vol.2 と #ジャン談 に言及していただいてます!みなさま、書店での購入、図書館での閲覧、ユリイカ好きの友人への連絡などよろしくお願いします🙇♂️ 言及されデビューだ、やったぜ〜🎉 pic.twitter.com/CRqxbBNrcB
— おしこまん△『osicomagazine vol.2』販売中 (@osicoman) 2019年9月28日
瀬下さんに取り上げていただいた。瀬下さんにはnoteでも「聴いてるpodcast」としてジャン談を取り上げていただいている。
こうやってここまで書いたんだけど、自分としては何かをやったわけではないしな、とも思っている。osicomagazineは、おしこまんとおしこまんが依頼したおしこまんの親しい人が頑張って作ったわけだし、自分はジャン談をやっていただけである。
少し前のジャン談でも語ったのだが、昔こそpodcastをやっているというのがちょっとしたアイデンティティというか、「ドヤ感」があったのだけれど、今はもうそういうのも無くて、ジャン談をやっているのも当たり前だし、それに関しての特別感というものもない。もちろん、もう少しで丸4年になるジャン談を毎週欠かさずやってきたのはすごいことなんだろうなぁと漠然と思うし、編集やら何やらでかかる労力もちょっとしたものであると思う。
なんというか、今立っている地点が、一流のアスリートとかが言う「努力とかじゃなくて(毎日のトレーニングとかをルーチンとして)やることが当たり前」みたいなところに近いのかも、とは思う。ただ、そうなってくると難しいのが「モチベーション」の話で、別に続けることに苦があるわけではないのだが(編集は大変だけど)、前述のように自分の中での特別感が無くなってしまうと、じゃあ何を目指すのか、みたいなのは逆に難しいところがあるよな、とも感じている。
今回のことだって、ここまでジャン談をやってきたからのことだし、これだけジャン談を続けてきたというのはそれなりにすごいことだと思うのだけれど、自分としてはジャン談の特別感が無くなってしまったので、それに対してすごいと言われると「そうなんでしょうねぇ」とか他人事みたいに感じてしまうところがある。
とはいえ、ここまで書いて更にアレなのだけれど、おしこまんがtwitterで言ってたように、ジャン談もゲストに出ていただいたり新たなフェーズに入ってきた感があって、それはすごく良い流れだと思う。
こういうまとまってないこと、よくあるよくある。